座禅や瞑想について、アーティスト目線でお話しをお伝えします。
禅や森羅万象の奥深さを識(し)る場。
坐禅瞑想という名の宇宙との繋がり曼荼羅を現代のカタチへと進化させる(臨済宗 興聖寺との出会い)
1000日曼荼羅を(上記に説明:毎日1枚15cm角の曼荼羅を1枚→インスタグラムとブログでその詳細を記載しています)描き終わったのちに、京都 臨済宗興聖寺 望月住職と出会いました。
興聖寺は慶長8(1603)年、大名茶人として知られる古田織部が深く尊敬する虚応円耳を開祖に建てられた
京都上京区にある「織部寺」の名でも知られる一般公開を許されていない禅寺です。
禅宗である興聖寺の門をくぐり、禅の世界、深い真理に魅了されたのを今でも鮮明に覚えています。
そして、そのようなご縁と共にご住職の発案により精密点描曼荼羅を坐禅瞑想の法具として
使用したいとのご依頼をいただき約1年をかけ約40センチ角の坐禅曼荼羅作品を14枚奉納致しました。
神社仏閣に作品を奉納することは私自身の目標の一つです。
いつかは気づいてもらえると信じ描き続けた日々。
その願いが通じ奉納できること。
合わせて坐禅の法具として活用する。
そのお申し出を決め、興聖寺のご本堂の弥勒菩薩像の前で
ご住職の経を一人本堂で聴き、真剣に描くと決め心を整え、
その時に感じた光に包まれるような感覚と凛と張り詰めた空気感を大切にして1年の時間を過ごしました。
曼荼羅はとにかく描けばいいと言う訳ではありません。
昨今、様々な人が描く曼荼羅モチーフ。
それを否定するつもりはありません。
しかし、歴史の中で大切にされてきた教えや哲学を知った上での曼荼羅の意味は全く違う形で存在します。
チベットでは僧侶の方が描くとされている世界。
また、カトリックでも使用される幾何学模様のモチーフやバラ窓なども
歴代得ればれし職人やアーティストが手がけています。
あわせて、日本の禅の場にその曼荼羅作品を奉納するというのは覚悟が必要になります。
先人の職人さんたちが心を整え、何年もかけて守りぬいてきた職人文化が色濃く残る世界。
しかし、だからといって今までのやり方を真似るだけでは「教え」の形は表現できません。
変化を受け入れる森羅万象の教えを明確に時代にあわせて作り上げる。
その難題と共に何よりも己の我欲と奢りを捨てなければ作品は描けないと覚悟を決め、
神々、仏様たちの導きを頼りに、その想いを私はこの手を使って形を表現するのみと覚悟を決め制作を開始しました。
様々な思いはあれどもシンプルにそれでいて、禅の教えを大切に
禅の世界でいう禅問答を住職と繰り返し、
この意識と感覚を大切にしながら興聖寺に納める作品14点を約1年間かけて描き続けました。
現在、この14枚は坐禅修行で日々ご使用いただいております。
また同寺院に坐禅曼荼羅とは別に150センチ角のデジタルリト作品2点を2020年奉納。
並びに御朱印の為のカバーなどに作品を起用していただいております。
私の作品の原型である宇宙の真理。
禅の場で学びながら制作し、神仏との繋がりを模索してきました。
出会いで学んだ感覚を大切にこれからも自然や森羅万象の教え、
神仏と繋がり、先人の職人さんたちが心を込めて制作した作品を
良い意味で壊し、新たな形に変化し伝えていく。
見る人が「考える」「識る」ことの大切さを感じることができる作品を
求め、描き続けながら、その活動が見てくださる皆さまのお役に立てる事を目指していきます。
己にも見る人にも「考える」「識る(しる)」ことの尊さと心の中に広がる宇宙を見つめ続ける美しさを訴求するアートを探し続ける
こうした背景をもとに表面的な「美」にこだわるアートではなく極め、修行し、心を研ぎ澄ます内面の「美しさ」を表現するためにあえて、時間を必要する困難な点描手法を取り入れ、見る人の心に届く「禅アート」の世界を展開していきます
AKIKO SASAGAWA
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